スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 2011.04.26 Tuesday
  • -
  • -
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

一億総キャラ化

いじめ研究者などのあいだではよく知られた事実だが、現代の中高生の教室空間は、いわば「キャラの生態系」と化している。人数分の異なったキャラが存在し、棲み分けているのだ。ここでは暗黙の了解事項として「キャラがかぶる」「キャラが変わる」といった事態は慎重に回避される。また、この空間においてひとたび「いじられキャラ」などと認定されれば、少なくとも次のクラス替えまでは「いじめ」や「いじり」の対象になってしまう。

 それでもキャラ文化が強いのは、そこにメリットもあるからだ。その最大のものは「コミュニケーションの円滑化」である。自分のキャラと相手のキャラがわかっていれば、コミュニケーションのモードもおのずから定まってくる。キャラというコードが便利なのは、元の性格が複雑だろうと単純だろうと、一様にキャラという枠組みに引き寄せてしまう力があるからだ。



- 「AKB48」キャラ消費の進化論|この一年の注目記事|新しい日本を創る提言誌 Voice+ ボイスプラス (via gkojax)
Sent with Reeder

歴史の学び方

“ドイツ近代史の授業初回、師曰く、「これからヒトラーの時代を学ぶわけですが、まず、善悪の判断を留保します。彼は彼の正義を、彼なりの平和を模索していました。しかしそれは災厄をもたらした。では、彼に代わる正義や平和はなかったのか?あったとして、なぜ破れたのか?というのが歴史学姿勢です」”

- Twitter / daichi (via adjsavedmylife) (via uessai-text) (via yu5yam) (via soulboy) (via etecoo) (via goyou) (via mtsuyugu) (via oosawatechnica, last-night)
2009-12-04 (via gkojay) (via ultramarine) (via gkojax)
Sent with Reeder

死んではいけない訳

“ 私はとある理由で、同窓会にはまだ生涯で1度しか出席したことがありません。特に先日、私が過去に遭遇した教育現場の生臭い話をした中学時代の同窓会には、一生出席しないと思います。

 最大の理由は、いじめを行ったほうも私を脅迫した教師も、『そんなこと無かったかのように』にこにこ笑っているのが我慢ならないから。

 担任は確信犯ですが、いじめっ子のほうは中学だけでも約二年半ぐらい、私や私以外の人間をいじめ続けました。
 その場でいじめっ子の彼にさりげなく「いやあ、お前にはいじめられたからなぁ」と話を振って帰ってきた台詞がこれ。

「えっ? そんなことあったっけ?」
「いやあ、あん時は若かったよなぁ」


 すべて「若気の至り」で完結していました。いじめられた方は恐怖と怒りと怨念の記憶とともに人生を歩むことになりますが、いじめた方は真実何も覚えていないか、そもそもいじめをしたという自覚すらありません。少なくとも私にいじめを行った人物についてはそうでした。

 「ふざけるな!」と怒りのあまりにわめき散らしてその場を凍り付かせても良かったのですが、その場は笑顔をキープして、二次会は避けました。もっとも、笑顔の下で表情筋がこわばっていたのを、今でも覚えています。

 ちなみに彼のよくやったいじめは、「授業中、板書している先生の目を盗んで前の席の生徒の背中を殴りつけ、悲鳴をあげさせて授業を中断させる『遊び』」というものでした(授業中の教師は基本教科書か黒板しか見ていない)。
 彼にとっては単なる一過性の『娯楽』だったので、1年前のお笑い芸人のネタを視聴者が覚えていないように、彼もまったくいじめについては記憶していませ ん。せいぜい、「若い頃はやんちゃだったな」程度の認識。私は何をされたか具体的にここで書けるほど覚えていますが、これが実際の加害者と被害者の温度差 なのではないかと思います。

 ゆえに、あえて言います。自殺しても無駄死にだと。

 「いじめられっ子の究極の自己主張は、実名を記載した遺書を残しての自殺である」という、報道なども含めた現在の状況(というか雰囲気)は、いじめられっ子に対しては何ら利しません。むしろいじめられっ子に「自殺すれば声が届く」と勘違いさせ、自殺を促すことになりかねません。

 本当に知らしめるべきは、十年後二十年後の同窓会で私が遭遇したいじめっ子の姿であり、脅迫に荷担した担任教師の笑顔であるべきだと思います。そう、彼らはいじめなど無かったことにして笑顔で同窓会に出席しているのです。
 まあ学校ぐるみで「我が校にいじめなど無い」と、いじめられた方に言い切った学校に所属していたわけですから、彼らにとっていじめなどん無かったのでしょう。ただ、当時私はその『遊び』のお陰で、背中が痣だらけでしたが。

 だから、いじめを受けている子供たちに言いたい。

『死ぬな』

- いじめっ子の現実 - かかづのばかもやすみやすみ - 楽天ブログ(Blog) (via nagas)
Sent with Reeder

評論作文

in progress
“ とある監督が若手に言った話。

 これからプロになりたいのなら、絶対に評論家の意見は眼にするな。アレは素人向けの作文であって、プロへのアドバイスにはならないからだ。

 評論家がある作品を褒めたとしよう。 君に作家に必要に想像力があれば、その作品の評価は加速度的に上がって来て、やがて超えられない様な恐ろしいものになる。ただ単に好きか嫌いか言っているだけなのにだ。  逆もまたしかりで、評論家が馬鹿にすると、併せてこちらが馬鹿にする様になる。

 プロなら、自分で眼で見聞して自分で評価を下すことが肝心であり、他人の評価から入ることは極めて危険。自分で見た後で他人の意見を眼にするのは全くかまわない。


- 評論は素人のもの: オタク商品研究所plus (via petapeta)
Sent with Reeder

言葉の救い

in progress
《いじめられている君へ》広い海へ出てみよう

東京海洋大客員助教授・さかなクン

中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。
いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん無視されたこともありました。
突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。
せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。
けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。
すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。
助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。
いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、
小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。
同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。
ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。
でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。
学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。
話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。
大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。
外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
(朝日新聞2006年12月2日掲載)
― 438:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 01:08:55.57 ID:79D08FfW0



- 人が死なない泣けるコピペ 後半:ハムスター速報 - ライブドアブログ (via ruo8181)
Sent with Reeder

Google、死海文書

Engadget Japanese

各国の図書館やアーカイブと協力して紙文書のデジタル化を進める Google が、今度はイスラエル当局と組んで死海文書のオンライン公開に取り組みます。死海文書といえば、1940年代に偶然発見されるまで約二千年ものあいだ洞窟に隠されていたユダヤ教・キリスト教関連の写本群。学術的に極めて貴重な資料であると同時に、一部の復元・公開が遅れたことから「権威をひっくり返す記述が発見されたので隠蔽しているに違いない」との陰謀論を呼び、挙げ句はフィクションの世界でも「人類の起源を巡る重大な真実が!」といった尾ひれつきの定番小道具になってきました。

今回のプロジェクトは所蔵するイスラエル考古学庁 ( IAA) と Google の協力により、大量の写本の断片をマルチスペクトル画像技術でデジタル化し、周辺資料や翻訳とともにオンラインのデータベースとして公開してゆくもの。ゲームなどに登場する「死海文書」やら「エノク書」の印象ではそんなものを公開して大丈夫か?といいたくなりますが、かつての撮影技術では見つからなかった要素が発見される可能性とともに、オンライン公開することで広く今後の研究に活用する(そして現物の劣化を防ぐ) 有意義な計画です。問題ありません。

プロジェクトにかかる費用は350万ドル。リンク先AFPが引用している IAA側プロジェクト責任者Pnina Shor氏のコメントによれば、最初の画像がオンラインで公開されるのは数か月以内、完了は今後5年以内になる予定。書籍のデジタル化を巡っては権利者不明のまま埋もれてゆく本の「勝手」スキャンや、書籍検索に関する出版社との裁判などで論争の的となる Googleではありますが、「人類すべての知識の保全・デジタル化」を旗印にする企業としてはむしろこうした活動が本分です。イスラエル考古学庁との協力による死海文書に続き、米Miskatonic大との協業によるナコト写本・セラエノ断章といった貴重な未公開文献のデジタル版公開も期待されます。
Read | Permalink | Email this | Comments
Sent with Reeder

就活心得

in progress
 大学を卒業してから10年弱、会社に使われるようになって強く思うことは、仕事はとにかく生業だということである。もう少しつっこんだことを言う なら、仕事を見つけるという行為は、食べていくために毎日こなさなばければいけないことと、そのことで受け取る金額と、自分の適性の間に、自分が耐えうる 妥協点を見いだすことであると思う。

 社会人をうん十年やっている、という人たちからしたら、本当におかしなことかもしれないけれども、10年前の新卒の就職活動で、このことを強調さ れた機会はほとんどなかった。セミナーにやってくる人たちの話を鵜呑みにしていたわけではないけれども、わたしやその友人のほとんどは「興味のある業種に 関わる、やりがいのありそうな仕事」を探していた。

 そんな幸運にありつけるのは、すべての就職活動をしている大学生のうちのほんの一握りだ、という当たり前のことは、誰一人としてはっきり言わな かった。言う必要なんかないだろう、自分でわかれよ、とおっしゃる方もいらっしゃるだろうけれども、生まれて初めての就職活動をしてる、22歳やそこらの 若者に、とてもではないけれどもそこまで考える余裕は残されていない。



- 10年前の新卒:日経ビジネスオンライン (via yuco)
Sent with Reeder

Tweet from @BIG_ISSUE_Japan

ビッグイシューと大阪市交通局の社会貢献事業と共同し、大阪の西梅田の地下街売店跡地に念願の地価店舗がオープンします。10月1日開店! しかも、店舗設計者はあの奈良美智さんとのコラボでも有名な「graf」さん。 西梅田にいらした際にはぜひお立ち寄りください!

Sent from Echofon - http://www.echofon.com/

頭でっかちと無鉄砲

(via in progress)
キルケゴールに言わせると、現代は情報過多というより分別過多なのだ。物を知りすぎて、わかったつもりで、考えてしまうから手が出ない。先進国で晩婚化がすすむ原因もここにあるのかもしれない。相手のことや未来のことを考え始めたらきりがない。情報と分別があるとき、人は見る前に跳べなくなる。

「現代は平均しておそらく過去のどの世代よりも物知りだといえるだろう。しかし現代には情熱がない。だれもがたくさんのことを知っている。どの道を行くべきか。行ける道がどれだけあるか、われわれはみんな知っている。だが、だれひとり行こうとはしない。もしだれかがついに自分自身のなかにある反省に打ちかって行動に出る人があったとしたら、その瞬間に無数の反省が外部からその人間に向かって抵抗することだろう。もっとよく考えてみようではないかという提案だけが、燃えあがる感激をもって迎えられ、行動は無感動をもって遇せられるからである。」

「もっとよく考えてみよう」は、ある意味では、分別財、検討財とでも呼べるようなビジネス書の市場を形成している。ビジネス書の大半は読まれて検討されるだけで実践されない。検索エンジンもまたその延長といえる。多くのページがヒットするがほとんど読まれない。グーグルのなかでぐるぐる逡巡するのが現代であり、それを見通したグーグルは時代の勝者なのだ。



- 現代の批判―他1篇 - 情報考学 Passion For The Future (via yellowblog) (via nemoi) (via proto-jp) (via yaruo) (via gkojax)
2009-10-30 (via gkojay) (via kondot) (via bigyawn) (via canaliar) (via para-fall) (via liefujishiro) (via inumoto) (via 0024h) (via tscp) (via appbank)
Sent with Reeder

学びと報酬

(via in progress)
“先般ノーベル賞受賞者たちが口を揃えて「もう日本の教育はダメだ」といったのは、授業時間が少ないとかいうレベルのことではない。
官民一体となって「子どもたちが学習内容そのものにではなく、学習した場合に得られる報酬の獲得に熱中している」という教育システムに対して、「それではバカしか生まれない」とおっしゃっていたのだと私は理解している。
現に、超難関校といわれる大学を出た若者と話していて、あまりにものを知らないので、びっくりすることがよくある。
教養がないというレベルにとどまらず、専門課程で学んだはずの知識さえおぼつかない。
どうして、そんなにものを知らないのかと訊ねると、破顔一笑して、「いやあ、大学では全然勉強しなかったですから」と誇らしげな様子をする。
どうして、勉強しなかったことをこれほど自慢するかというと、それでも超一流校の学位記を獲得した自分のふるまいが「クレバー」だと思っているからである。
だって、わずかな苦役で大きな報酬を手に入れたわけだからである。
「ぜんぜん勉強しないで東大出ちゃいました」というのは、キーボードをちゃかちゃか叩いただけで1分間で数億円稼いだとか、1000円でベンツを買ったとか、それに類する「スーパー・クレバーな商品取引」なのである。
消費者マインドに立てばそういうことになる。
「学校なんかぜんぜん行ってねっすよ」「教科書なんか開いたことない」「試験なんか、ぜんぶ一夜漬けで、あとカンニング」というような言葉が「ほとんど誇らしげ」に口にされるのは学校教育で競われているのが「何を学んだか」ではなく「いかに効率よく競争に勝つか」だと彼ら自身が信じているからである。”

-

費用対効果教育 (内田樹の研究室)

ううう…。

(via hirata)
Sent with Reeder


calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

sponsored links

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM